必要とされる場所で 自分を生かす 素直さが力になる

アスリートインタビュー#7 

伯和ビクトリーズ硬式野球部
内山孝起監督


東広島市からの熱い要望にこたえて2005年に誕生した、社会人 野球「伯和ビクトリーズ硬式野球部」。 都市対抗野球での優勝を目指 すのはもちろん、地域貢献活動にも積極的。 選手による野球教室の 実施や地域のお祭りへの参加など、市民に身近な存在です。

そんな 同チームの監督である内山孝起さんは元選手。 どのようにして野球 人生を切りひらいてきたのかを聞きました。

―野球を始めたきっかけは?

内山 小学3年生のときに小学校のスポーツ少年団に入りました。その前はジュビロ磐田(当時はヤマハ発動機)のチームでサッカーをしていましたが、2歳上の兄が野球をするのを見て面白そうだなと感じたのがきっかけです。父がスポ少の野球チームのコーチをしていたというのもあります。

―小学生のころの練習は?

内山 運動では1番になってやるという思いを強く持っていました。そこで自主的に始めたのが、ボールの壁あて練習です。レンガ模様の壁に目標を決めて、いつも同じ場所にボールをあてるようにすれば、正面にかえってくるからまた投げる、これを繰り返しました。僕の守備の基本です。

―うまくなるための練習は?

内山 試合で対戦相手のうまい選手に勇気を出して話しかけ、情報を集めました。誰にも負けないという強みを磨くためです。この時に出会った仲間と一緒の高校に進みました。

―低迷期をどう乗り越えた?

内山 もともと体が小さいうえに友達に比べて成長が遅く、中学生は野球の低迷期。それでも野球を続けたのは、2歳上の兄が高校でも野球を頑張っている姿に憧れがあり、自分も負けてられないという思いがあったからです。

―高校での選手生活は?

内山 掛川工業高校に小学生のころに対戦相手だった仲間が集まり、1年生大会で地区優勝できました。高校生になって体の成長も追いつき、野球が楽しくてチームでも一番上手だったと自信があります(笑)。オールマイティープレーヤーとして、サード、ピッチャー、キャッチャーなどいろいろなポジションを守りました。自ら「このポジションがしたい」と訴えるよりも、必要とされる場所で自分をいかしてきました。社会人になっても同じです。

―続けるためにどう行動した?

内山 高校での夏の大会は3年間、初戦敗退。個人的には前年度優勝のチームとの対戦で打つこともできたので、大学でも野球を続けたいと考えました。高校は無名だったので、自分から動きました。監督に紹介してもらった大学のセレクションをかたっぱしから受けました。

―伯和に決めた理由は?

内山 愛知工業大学に進学し、3年生で注目選手に。企業や軟式チームからオファーがありましたが、社会人野球をしたいと思っていました。そんな時に伯和の東監督(当時)が声をかけてくれました。チームのことは全く知らなかったけど、社会人野球ができるのがうれしく即決しました。

―社会人野球選手とは?

内山 プロ野球は明日も試合がありますが、社会人野球は負けたら次がありません。会社から給料をもらい、会社の看板を背負い、地域の期待もあります。一人一人が全員戦力で、ケガもできない。練習のキャッチボールもノックでも、1球の重みはこれまで味わったことのないものでした。責任の重さですね。責任を力に変えて、夢だった全国の舞台、都市大会に出場することができました。

―最後に、スポーツ選手に大切なことを教えてください。

内山 選手、コーチ、そして監督を経験してきて、スポーツ選手に大切なのは「素直さ」だと思います。自分勝手なプライドを捨てて、指導者のアドバイスを素直に受け入れることで活躍の場を広げることができます。素直さは人にも恵まれます。自分を成長させてくれますよ!


内山監督がコーチを経て監督になった2019年は、 チームがなかなか勝てない苦しい時期だったそうです。 「社会人野球のレベルはとても高く、うちのチームの 選手もすばらしい。ただ、大手の企業チームのようなエ リート選手はいない。エリートチームを倒していくには、 チーム力を高めるしか方法はなかった」と話します。

内山監督に、みんなが活躍できるチーム作りにおいて 大切なことを教えていただきました。

伯和ビクトリーズは、「全力疾走、全力発声」を掲げ、練習でも試合でも全力で実践しています。

ファーストまで全力で走る、大きな声を出してチームを鼓舞するなど、当たり前のことを徹底するという意味の「凡事徹底」で勝ってきたチームです。相手の内野ゴロを一生懸命に走ってとると相手は焦ります。その焦りが相手のミスを誘います。フライを打ったら走るのをやめるのではなく、ボールを落とす可能性も考え、あきらめず全力で走ります。1塁出塁を3ベースヒットにするのです。

予選近くになると、一人ひとりの役割を決め、その役割をきっちり果たせる練習に切り替えます。送り役なら送りバントの練習、代打ならその代打の練習をさせます。大企業のエリート選手でさえも自分の役割だけを練習しますから、僕らが勝つには練習するしかありません。

監督の指示に選手が従う「トップダウン」から、選手が練習メニューを決めて取り組む「ボトムアップ」に変えました。そして全員に何かのリーダーの役割を与えました。

すると、以前よりも練習内容は厳しくなり、練習時間も長くなりました。自分たちで決めたことなら苦しくてもやる、うまくできなければやり方を工夫します。僕は選手の意見を引き出すファシリテーターの役です。ただし、チームは選手の入れ替わりがあり、毎年新しいチームになります。ボトムアップ理論が、今年のチームにうまく機能するとは限りません。チーム作りの方針は選手を見て毎年見直しています。

巨人がリーグ優勝したとき、 阿部監督は「チーム力、 全員の力で勝ち抜いた」と答えて います。選手全員が同じ目標に向 かって進んできた結果です。伯和 ビクトリーズの目標は「都市対抗 戦 出場」。皆さんも、個人の成長 の目標とチームで勝つための目標 を定めてみてください。

若い選手は失敗を恐れて、無難な道を選ぶことがあります。ミスをしたら次はミスしないように気を付ければいいのです。カバーしてくれる人もいると信じて。失敗も経験。成長するために必要なことです。

素直な人は人に恵まれます。教えてもらえたり、助けてもらえます。素直な人が集まるチームは、いろいろな人の知恵やアイデアが集まりチームを成長させます。

今取り組んでいるスポーツを好きになってほしいです。そして、「好きなことを頑張ること」を楽しんでください。


伯和ビクトリーズ硬式野球部
内山孝起監督

1985年7月1日生まれ。静岡県掛川市出身。
野球では無名だった掛川工業高校に進学、野球を続けたい一心で大学のセレクションを受けて愛知工業大学に入学。
2008年に東広島市を拠点に事業を行う株式会社伯和の社会人野球チーム「伯和ビクトリーズ」の監督から声をかけられ入社。
内野手としてキャプテンを経験し、18年にコーチ、19年から監督。東広島市在住。

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