
感謝を胸に、最後のオリンピックへ 壁にぶつかっても"必然″として受け入れる
アスリートインタビュー#10
スノーボードアルペン 竹内智香

|感謝の気持ちと共に、現役ラストシーズンへ
2025年5月、スノーボードアルペン竹内智香選手が2025ー26シーズンでの現役引退を表明しました。
オリンピックには6大会連続で出場し、2014年ソチ五輪で日本女子スノーボード史上初となる銀メダルを獲得。20年
以上にわたり世界の第一線で戦い続けてきた、日本のスノーボード界を代表する存在です。「座右の銘は〝感謝〞。ここまで支えてくれたすべての人にありがとうを伝えたい」。
現在は広島ガススキー部に所属し、広島を拠点のひとつとして活動しています。北海道生まれの彼女にとって、広島は第二の故郷のような存在。地域の応援を力に、最後のオリンピックに挑戦します。
|スノーボードとの出会いは10歳の頃
竹内選手がスノーボードに出会ったのは10歳の頃。きっかけは家族と訪れたスキー場でした。アルペンスノーボードの板に一目ぼれし、両親と兄と一緒に挑戦を始めます。当時はまだ滑走できるコースも少なく、世間の印象も今ほど良いものではありませんでしたが、それでも挑戦したい気持ちは強く、自然に競技の世界へと進んでいきました。
ただ本人の記憶では「子どもの頃は〝練習〞という意識はなかった」と振り返ります。学校から帰るとランドセルを置き、すぐに外へ飛び出す。公園で友達と走り回り、バドミントンやバスケットボールなど他のスポーツにも挑戦。とにかく体を動かすことが大好きな子どもだったそうです。
「さまざまなスポーツや遊びを通じて体を動かしたことが、後の自分の土台になった。子どもの頃に一つのスポーツに縛られず、いろいろな経験をしたことが伸びしろにつながったと思う」と話します。
|五輪出場という夢ができた長野五輪
中学2年生のとき、長野オリンピックでのスノーボード競技をテレビで観戦したことが大きな転機となりました。「自分もあの舞台に立ちたい」。心に強い憧れが芽生えます。
その翌年、中学3年生の夏にはニュージーランド遠征に参加し、本格的に競技生活を歩み始めます。やがて北海道大会、全日本選手権、世界大会へとステージを広げていきました。試合を重ねるたびに成績が伸びていくことが楽しく、夢は次第に現実味を帯びていきます。
|壁もケガも”必然”として受け入れる
長い競技人生では、順風満帆な時ばかりではありません。ケガやスランプに悩まされる時期もありました。それでも竹内選手は「起きたことはすべて必然」と受け入れ、目の前にある現実に向き合い続けてきました。
「選手だからこうしなければならない、モチベーションを保つためにはこうしなければならない、と理想像を持ちすぎると苦しくなる。そうではなく、今できることを積み重ねていけば、必ず明日につながる」。その考え方が、2
0年以上もの長いキャリアを支える力となりました。
|広島との縁がもたらした力
親戚が住んでいる縁もあり、広島を拠点のひとつとしている竹内選手。初代「ひろしま観光大使」を務めるなど地域の魅力発信や、冬季観光誘致活動にも積極的に取り組んできました。
そして今、広島で暮らす子どもたちにとっても、世界の舞台で活躍する竹内選手の存在は、大きな刺激となっています。その姿は、次の世代が夢を抱き、挑戦へと踏み出すきっかけになっていくはずです。
―スポラブ読者にメッセージを
「夢や目標を持って努力することは素晴らしいこと。でも、まだ見つかっていなくても大丈夫。いろんなことに挑戦して、今しかできない経験を大切にしてください」。

TOMOKA TAKEUCHI

1983年12月21日生まれ、北海道旭川市出身。旭川市立東明中学校、クラーク記念国際高等学校を卒業。現在は広島ガス スキー部所属。オリンピック6大会連続出場(2002年ソルトレイクシティ~2022年北京)、2014年ソチ五輪銀メダル獲得。ワールドカップ優勝、世界選手権銅メダルなど数々の実績を残す。2025年5月、025-26シーズンを最後に現役引退を表明。


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