ジュニアスポーツをみんなで応援!ひろしまエールバトン エール04 土屋 武美
苦しい練習にも得るものがあり、頑張った分だけ人生に活かせる
僕は小中学校生の時は水泳をやっていました。元々そんなに得意ではなかったのですが、小学校1年生の時に親の仕事の都合で台北(台湾)に引っ越したおかげで、水に入るのが大好きになりました。台湾は日本に比べて非常に暑い国で、山の上の方以外では雪もほとんど降りません。
その分、夏のシーズンが長く、しょっちゅうプールに通っていました。台北には当時僕が通っていた日本人学校に加え、アメリカンスクールなどもあり、そこでは日本人学校にはない2mの深さのプールやちょっとした高飛び込みができるような飛び込み台もありました。
それで日本にいた時よりもかなり水には慣れ親しんで、台北から小学校5年生の時に日本に帰国した時には、市の大会で優勝できるくらいに成長していました。
山岳部として活動した高校時代
そして、高校生になり、そろそろ水にも飽きたな、ということで、山岳部に入りました。
きつい修行のような登山
夏休みには4人でパーティーを組み、4泊くらいのスケジュールを立てて山に登りにいくのですが、実は楽しい山登りというよりは、きつい修行のようでした。20㎏ほどの荷物を背負い、夏でも雪渓が残っているような山道を歩いていきます。僕は出身が福島県の会津地方で広島と同じように山が多い場所なのですが、雪も多いのが特徴です。
山での一番の楽しみはごはん
山の上での一番の楽しみはみんなで作るごはん、そして温泉です。山でご飯を作っていたおかげで、一度、家の炊飯ジャーが壊れた時などは鍋を使ってご飯を炊くことができ、家族にも美味しいと好評でした。
ぶち当たる壁を乗り切ったあとの達成感
山登りのゴール地点はたいてい温泉にするようにしていて、そこで疲れをしっかりとるようにしていました。山を登り切った達成感で温泉につかりながら泣いている友達もいましたね。助け合いながらぶち当たる壁を乗り切ったあとの達成感というのは、仲間との絆を強くするな、とその当時思いました。
「マイナーな競技を有名に」大学の躰道部時代
大学生になってからは更に別のことがしたくなり、躰道部に入りました。躰道とは空手に三次元的な動きを加えてバク中蹴りとかするような武道です。
マイナーな競技を自分たちの頑張りで有名にしていきたい、とやる気になっていましたが、最初の夏合宿の練習では脱水症状で倒れるなど、かなり厳しいものでした。
途中で何回かやめようと思ったこともありましたが、仲間にも支えられて最終的には黒帯まで到達することができました。その経験のおかげで、たいていのことは前向きにとらえ、何とか乗り切ることができるようになりました。大学の仲間とは今でも年に1回は集合して近況報告をしています。
練習が苦しければ苦しいほど得るものがあり、良い仲間ができ、頑張れば頑張っただけ、その後の人生で活かせるものが生まれると思います。僕は今、熊野町で熊野筆を作る仕事をしていますが、地域のみんなが元気で笑顔になるよう頑張っていますので、皆さんも今やっているスポーツに一生懸命取り組んでくださいね。応援しています!
株式会社晃祐堂
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