目先の勝ち負けではなく、楽しむこと 好きを持ち続けることが"チカラ″となる

アスリートインタビュー#8

広島ガスバドミントン部 副主将 小田菜摘


―「毎日がバドミントンでした」

そう話すのは、広島市出身で現在は広島ガスバドミントン部に所属する小田菜摘選手。5歳で始めたバドミントンは、今も彼女の中心にあります。勝ち負けだけじゃない〝続けることの意味〞や〝支えてくれる人への感謝〞を、小中学生だった自分を思い出しながら教えてくれました。

―バドミントンを始めたきっかけは?

ー小田選手がバドミントンと出会ったのは、まだ幼稚園の頃。両親や姉の影響もあり、物心がついたときには自然とラケットを握っていました。小学生のときは毎日のように練習。母に「バドミントンだけ頑張れば良い訳じゃない、勉強や日常生活もちゃんとやらないと、バドミントンはやらせない」と言われていました。宿題を終えないと練習に行けないルールだったので、渋々でもちゃんとやっていました。と当時を振り返ります。

―どんな小中学生時代だった?

「とにかく楽しかった」と語る小中学生時代。平日も週末も、バドミントン中心の毎日。でも本人にとっては、それがごく自然なことだったそう。うまくいかない時はノートに悔しさを書いて気持ちを整理。「次はこんなプレーをする!この技ができるようになる!みたいな決意表明を書いていました」。試合で負けそうになると、いじけてしまうこともありましたが、母親に叱られながらも何度も立ち直ってきたそうです。

―どんな出会いがパワーとなったのか

試合のたびに大きなプレッシャーと向き合いながらも、幼なじみのパートナーや、熱心に寄り添ってくれた中学の先生の存在が、小田選手を支えてくれました。「自分は感情を出すタイプ。幼なじみはいつも冷静で、その対照的なバランスがうまくいった理由だと思います」。シングルスになれば、ライバルとなり、ダブルスとなれば、ペアとなる切磋琢磨できる存在が側にあったことも、大きな力となっていたよう。

―青森への高校進学は?

中学卒業後は、全国の強豪・青森山田高校へ。小学生の頃から憧れていた学校に進学できた喜びの一方で、不安もあったといいます。「そんな私を両親は〝思う存分楽しんでおいで。どこへ行っても応援するし、一番の味方だよ〞って送り出してくれて。応援してくれる人がいることのありがたさを、すごく感じました」。

―今、大切にしていることは?

現在、プロ9年目。トップレベルで長く戦うために、今、小田選手が一番大事にしているのは〝コンディションの管理〞。「ケガをしないこと、ストレッチなどの身体のケアや食事、睡眠の質など、自己管理を何より大切にしています。毎日をそのときのベストで過ごすことが、結果につながると思っています」。

―スポラブ読者にメッセージを

結果が出ないことがあっても、〝好き〞という気持ちがあれば、また前に進めます。応援してくれる人の存在を忘れずに、バドミントンでも、他のことでも、楽しんで取り組んでください。私は〝好きこそ物の上手なれ〞ということわざを信じて続けてきました。応援しています!


1995年創部。1人1人が自立し、結束力で勝利をつかむ!広島ガスバドミントン部のメンバーたち。

2025年は、S/Jリーグでトップ4入りを目指します。


1998年4月25日生まれ、広島市安佐南区出身。幼稚園(5歳)の時から本格的にバドミントンを始め、緑井小学校時代は、広島安佐ジュニアに所属。亀崎中(広島市安佐北区)、青森山田高(青森県)を経て、広島ガスに入社。全国小学生バドミントン選手権大会のダブルスで3年連続優勝(小学4~6年)。高校2年時には全国高校総体(インターハイ)ダブルス優勝。現在は広島ガスバドミントン部の副主将。

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