
立ち止まることもある。でも、行動しなければ夢には近づけない。
アスリートインタビュー#11
ディアヴォロッソ広島 長野 栞奈
なでしこリーグ2部、ディアヴォロッソ広島で活躍る長野栞奈選手。人一倍の負けず嫌いと向上心で数々の壁を乗り越え、一度は教員の道を歩みながら、「やっぱりサッカーが好きだ」と再び選手として復帰しました。諦めずに好きなことを続ける長野選手に、夢を追いかけるための「心の持ち方」を伺いました。
|負けず嫌いから始まった
―サッカーを始めたきっかけは?
小学3年生の時に学校でしていたスポーツ少年団のサッカーチームを見て、「コーチが優しそう」と母親に言ったのがきっかけです。気が付けば入団していました(笑)。
運動神経がいい方ではありませんでした。50メートル走は9秒台、何もない所で転んで怪我をするような子でした。サッカーを始めてみると、一緒に練習していた男子に負けたくないという気持ちが原動力に。
リフティングが3回以上できないのが悔しくて、泣きながら練習していた記憶があります。
とにかく負けず嫌いです。
|レベルの差を肌で感じた
―サッカーを本気になった瞬間は?
小学5年生の時、全国大会の広島選抜チームに選ばれなかったのが悔しくて、「上を目指す」という意識が芽生えました。小学6年生で選抜チームに選んでいただきました。
中学校では、女子サッカーのクラブチームと部活動を両立する忙しい毎日。特に、キックの練習に力を入れていました。中国トレセンに参加して、最終選考で落ちました。仲の良かった子が受かったことが悔しくて。このころ、尊敬する先輩である齋原みず稀選手(元サンフレッチェ広島レジーナ)と出会い、彼女に負けたくないという気持ちが強くなりました。
目標とする人がいることが力になりました。
|自分を客観的にとらえて、次へ
―悔しいときをどう乗り越えた?
高校時代はサッカーの基礎を叩き込まれた時期。朝から晩までサッカー漬けでした。そんな中で、2年生の時に自分の実力がチームの底辺だということを突きつけられたんです。「あの子よりも私の方が良いのに」「先生は私が好きじゃないんだ」と、人のせいにしていました。でも、監督が私を信じてくれたこと、同級生の保護者から「できるんだから自信を持って」という言葉をもらい気持ちが変わりました。そのころの私は、チームの中で怒られたらどうしようとびくびくしていたんです。
ネガティブな気持ちから、逃げのプレーになっていたと気がつきました。自分自身が、気持ちに左右されやすいということにも。メンタルがスポーツに与える影響の大きさを実感しました。結局、何もしなかったら何の結果も得られません。サッカーが嫌な時でも、練習するしかないんです。
この経験から、今の自分がどういう状況かを客観的に捉えるのが癖になりました。今でもポジティブな気持ちになれない時はあります。そんな時は、今はそうなんだとうけとめて別のことを試して、前に進んでいく感じです。負けず嫌いの性格なので、課題があるほど燃えるタイプ。諦めるのは簡単ですから。
|「ワクワク」することを選んだ
―教員を辞めて、なぜ再びサッカー選手に?
目標だった齋原選手がいる広島大学に進学。強豪校ではなかったこともあり、のびのびとサッカーができました。卒業時に社会人チームからのお誘いもありましたが、新卒で働く重要さを感じて教員として働く道を選びました。それでもサッカーは続けていました。私にとってサッカーはなくてはならないものになっていたんです。そんな時、岩田監督からディアヴォロッソ広島へと声をかけてもらい、ワクワクする方を選びました。
―スポラブ読者にメッセージを
私は元々能力の高い選手ではありません。だからこそ、自分の課題と向き合ってきました。努力は必ず報われるとは限りません。でも努力しなかったら、前に進むことも、望む結果を得ることもできません。壁にぶつかった時も、一度立ち止まっても、諦めずに続けることが上を目指す上では大切です。
私の目標は、なでしこ1部への昇格。この熱い思いを胸に、諦めることなく日々努力し続けます。

KANNA NAGANO

なでしこリーグ2部に所属するディアヴォロッソ広島の選手。ディフェンスのポジションを務める。幼少期にサッカーを始め、学生時代はクラブチームや部活動で活躍。サッカーができると聞いて広島大学へ進学、卒業後は教員に。その傍ら当時の広島文教女子大学(現在は広島文教大学)で大学生に交じってサッカーを続けた。当時の監督で現・ディアヴォロッソ広島の岩田純児監督に誘われて入団。
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