ピンチを受け入れ今できることを考える
アスリートインタビュー#4 ハンドボール 倉岡愛実選手
広島県広島市を本拠地に活動する、女子ハンドボールチーム「イズミメイプルレッズ」。過去に7年連続でリーグ優勝もした強豪チームです。
メンバーの一人である倉岡愛実選手は、広島県広島市出身、広島市育ち。昨シーズンはけがが続き、リハビリ期間は通算8か月にも及びました。どんなときでもハンドボールへの情熱を忘れず、努力を続けるパワーのもとを聞きました。
|見たこともないスポーツを仲間と一緒に挑戦
倉岡 ハンドボールを知ったのは小学3年生のとき。たまたま家の近くでメイプルレッズジュニアの練習があり見に行きました。選手に教えてもらってシュートを決めたとき、とても気持ちがよかったのを覚えています。
実はスポーツが苦手で、手先を動かすものづくりの方が好き。習い事で水泳やダンスもしたけど、続けられたのはハンドボールだけでした。
メイプルレッズジュニアに入部し、仲間集めから始めました。練習するにも試合に出るにも、人数が必要です。同級生が5人入ってくれて、中学でも一緒に続けました。平日は広島市内で週3日の練習、土日は安芸高田市で練習や試合。ただ楽しいばかりで、目標はありませんでした。小学生のときに全国大会に出場したものの、いい結果は残せませんでした。
中学生のとき、先輩の活躍で県1位を経験。そのころからランニングと体幹トレーニングに力を入れるようになりました。シュートの速度を上げるため、接触したときのけがを減らすためです。練習後に自宅で約10種類のトレーニングをするのはしんどかったけど、仲間のみんながやっているから続けられました
|高1でプロ入りの夢を宣言
倉岡 小・中学校で一緒にハンドをしてきた仲間と高校でも一緒に頑張りたいという思いから、ハンドで県1位の山陽高校に進学。入学したとき、高校の監督に「将来はメイプルレッズの選手になりたい」と伝えていました。ジュニア出身で初のプロ選手になりたいという夢もありました。
|好きでい続けることが大事
倉岡 大好きだったハンドですが、キャプテンを務めた高校3年生のころに嫌いになったこともありました。キャプテンとしての責任感の持ち方、シュートを打ちにいこうとする気持ちのつくり方に悩んでいたんです。気持ちが落ち込んだときは仲間に相談して乗り越えるのが私のやり方。
海外のスーパープレーを動画で見て、モチベーションをあげたりもしました。ハンドを嫌いにはなれなかったんです。スポーツでも何でも、上手になるには好きでい続けることがとても大事だと思います。続けたことで、高校3年生でインターハイでベスト16という成績を出せました。
|けがが成長のきっかけに
倉岡 念願のプロとなった2年目に手の指を骨折、復帰1カ月後に膝の前十字靭帯断裂という大けがをしました。けがの連続で落ち込んでいたとき、母から「今はそういうとき。今できることをやろう」と声をかけられ、状況を受け入れて次に進む方法を考えました。
ベッドに座り、足の指を動かすことから始め、足の裏の使い方、腹圧の入れ方など、基礎練習を毎日続けました。走れるようになったのは約3カ月後。約8カ月のリハビリ期間は、「まだ復帰は早い。もっとトレーニングが必要」ということを教えてくれました。
―スポラブ読者にメッセージを。
倉岡 点を入れても、その点を守れなければ勝てません。小中高、プロになった今こそ、体幹トレーニングの重要性を痛感しています。やはり基礎練習が大事です
そして、当たり前のことを当たり前にできる人間力がなければ、競技力は向上しません。応援もしてもらえません。「人間力なくして技術力向上なし」という言葉を大切にしています。
私の頑張る姿を見てもらって、将来の夢や未来への希望を持ってもらえたらうれしいです。
イズミメイプルレッズ 倉岡愛実選手
広島県広島市西区出身、2001年6月29日生まれ。
小学3年生でメイプルレッズジュニアに所属。
山陽高校では高校3年生でインターハイベスト16となる。
卒業後、メイプルレッズに所属。背番号4。
ポジションはレフトバック。
身長171㎝をいかした高い打点からのロングシュートが得意。
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